RTざんまい
 
お写真 | 鉄道ざんまい | 橋梁ざんまい | 種蒔き
現在の場所 :
巻頭言(12): 第一踏切商店街
English
 
ページ執筆 1999. 12. 12
最終更新 2002. 10. 5

頑張れ! 第一踏切商店街

ざんまい巻頭言 その12

そもそも東武鉄道野田線をご存じの方も少ないと思うので、 その野田線の馬込沢駅のことをご存じの方はもっと少ないのだろう。 それは東京都心と成田空港のちょうど中間に位置する船橋市の中心駅、 船橋から北に5kmほどこの野田線に乗っていったところにある駅だ。 地元の人間は 「沢」 をとって 「馬込」 と呼ぶ習わしだが、 東京都心で 「馬込」 というと大田区の馬込のことを思い出す人のほうが圧倒的に多いから、 東京と深いつながりを持ちつつ暮すいわゆる 「千葉都民」 が多いこの地ではどうもうまい呼び方でない。 大田区の馬込もこちらも語源的には同じ由来なのに、 地下鉄の駅がある大田区のほうは記憶され、 わが 「馬込」 が人々の記憶に残ることはまああまりない、 という次第なのは地元の人間としては残念ではある。

その馬込沢駅から北に向かう線路上に3つの踏切があり、 地元の人は駅に近い方から順に第1・第2・第3踏切と呼び習わしてきた。 正式名称はよく知らないが、 船橋市丸山地区にあるのでおそらく丸山第1・第2・第3踏切なのだろう。 そしてその踏切を通る道はそれぞれ第1・第2・第3踏切通りと呼ばれている。 10年ほど前に第1踏切だけ立体化されたので現在踏切は2つだけだが、 今でも船橋駅でタクシーを拾って 「馬込沢、第1踏切通りへ」 といえば連れていってくれる。 第2踏切も前に同じようにしてやってみたら大丈夫だった。 第3踏切はまだ試してないのでよくわからないが、 これも多分大丈夫だろう。

というわけで現在もこれらの踏切は街のランドマークであり、 踏切通りは街のメインストリートである。 現在1〜5丁目までに区分された丸山地区も以前はそのような区分がなく、 高木が小学生になりたてだったころは、 学校の下校指導のさい先生方が 「第1踏切を通る人こっちにきなさい」 と踏切の名前で子供を振り分けていた記憶がある。 よく線路は地域を分断するといわれるが、 踏切が人の流れをこのような形で規定するのはけっこう珍しいかも知れない。

この地区は高台で田んぼが少なかったせいか、周囲より早く宅地化が進んだ。宅地化が進めばお店もできるわけだが、結果的に人の流れのある踏切通り付近にかたまってできることになった。駅から遠く道も細い第3踏切は、周辺の宅地化がやや遅れたこともあり結局あまり大きな商店街を形成することにはならなかったが(それでも踏切通りやそのそばに何軒かできた)、第1踏切と第2踏切の通りにはかなりの規模の商店街ができた。

特に第一踏切通りのほうは、通りのいちばん奥に民間の開発による団地ができ、多くの通勤者たちがこの通りを抜けるようになったため、 1kmほどあるこの通り沿いに多くのお店が並ぶことになった。馬込沢駅は昔の私鉄の駅らしく東口だけがあり、この団地の方面からの人は駅に行くには必ず踏切を渡っていたこともあり、商店会の名前も「第一踏切商店会」と踏切の名称が入ることになった。踏切名が商店会の名称になっているというのは、多分珍しいことなのだろうと思う。

しかし、この第一踏切通り沿いというのは、以前から決して商売のやりやすい場所ではなかった。馬込沢駅東口前にも狭いながら商店街があったし、第一踏切の北隣、第二踏切通り沿いにも規模の大きな商店街があった。第一踏切通り奥の団地にはたくさん人が住んでくれたが、団地内には同時にスーパーも作られている。

さらに、電車に乗れば10分ほどで船橋市街である。船橋には東武・西武と主要なデパート2店舗が出店しているほか、多くの大規模店舗があって競争している。どうせ交通費は定期券があれば不要となれば、多くの場合「船橋で買ってくれば済む」ということになってしまう。

最近、各地の中心部にある商店街が荒廃しつつあることが問題視されつつある。確かに船橋市街のような中心商店街でも、最近は巨大な駐車場を備えた郊外出店形の店舗に押され気味である。だが、第一踏切商店街のような場合、このような問題が顕在化するよりずっと前からシビアな競争があったのである。

最近、 LRT (ライト・レール・トランジット)による新しい「まちづくり」なるものに興味が持たれているが、「LRTが中心街を救う」というようなお題目をあまりに軽々しく口にするおめでたい輩を見るたびに、正直なところ苦々しい思いを禁じ得ない。第一踏切商店街だって確かに街の中心にある。しかも、 LRTではこの商店街を救うことができないのが明確なのだ。

第一踏切商店街の苦境のひとつの理由は、第一踏切通りの狭さである。自動車同士の行き違いも困難なほど細い通り(それでも地区の他の道よりは広いのだが)では、 LRTはおろかミニバスですら通れそうにない。その狭い通りが、雨になればキスアンドライドのクルマで大渋滞することも最近は稀ではなくなった。コンビニエンスストアの前には違法駐車のクルマがとまっていたりもする。

では、この通りをトランジットモールにでもしたら問題は解決するだろうか? 確実に、しない。トランジットモール化すればLRTだって速度は大幅に下がる。そうなれば、この間乗車する価値自体がなくなってしまう。通勤客の最終目的地は馬込沢駅ではなく東京方面のオフィスなのだから、そのくらいなら別ルートを経由した方がよい。そうなれば人が来なくなるのだから、商店街にとっては最終的な死を意味する。

商業と交通の関係というのは微妙である。この馬込沢から南下して東武船橋駅に至れば、その駅は船橋東武デパートの3階にある。乗客は改札を出ればすぐにデパートになだれ込むことが可能だ。そんな関係であればこそ、船橋東武は千葉県内トップの売上げを誇る。これが、もし都心通勤者の便宜を図り野田線と総武線との直通運転でも行われた日には、船橋東武の地位はいっきに危うくなることだろう。

この辺をもっとあからさまにやった例として有名なのが町田であるらしい。町田駅では横浜線と小田急線が交差しているが、以前横浜線の駅は原町田といって、小田急の駅ともう少し離れていた。旧国鉄が駅を小田急線のそばに持っていって駅名改称したのであるが、このとき通路をわざと長めにとって、地元商店街の客足が減らないように配慮した、という有名な話がある。ほんとうかどうか知らないが、乗換え動線をもっと短くすることはできたはずであるので、地元からそのような要求がでた結果こうなったとすれば不自然とは言えない。しかし、通勤客の立場からすればそのようなことはあっていいのだろうか?彼らが毎日長い距離を歩かされることによって町田の地元商店街は繁盛するかも知れない。しかし、通勤客の犠牲はその繁盛のためには致し方ないこと、とされているのが現状だとすれば、我々はそのような状況に対しもっと声を上げる必要があるのではないか。

ではそんなことをしなくても商店街は生き残ることができるのか、高木にも自信はない。馬込沢駅前には最近になって比較的大きなショッピングセンターができ、これと同時に多くの店が商売を諦めてしまった。現在は空き店舗があちこちにならび、実に痛々しい状況を呈している。しかし、ショッピングセンターの開業により人の流れが若干変わった。従来第一踏切通りの裏通りに当たっていた場所が一躍表通りに変わり、そこに早くもいくつかのお店が軒を連ねるようになった。さらに、第一踏切商店会も何か始めるようである。最近はやりのスタンプサービスで、スタンプを集めるとそれが商品券として銀行でも使えるようになる、というやつである。

新しい店が商店街に活気を呼び戻せるのか、あるいはこうした施策が成功するものか、それはふたを開けてみなければわからないことだろう。しかし、結局のところ、地道な営業努力の積み重ねによってしか、この商店街を救う手だてはないのである。

個人的には、おしゃれなお店でもたくさんできて、千葉の代官山とでもいわれるように有名になったらな、と思う。そうすれば、都心で「馬込」といえば馬込沢のことだと思ってくれるようになるかも知れないのだが、それはやっぱり夢、なんだろうね…。


画像に著作権表示の文字列がでる場合、 こちらをクリック。
高木 亮 webmaster@takagi-ryo.ac
(c) R. Takagi 1999 - 2002. All rights reserved.