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巻頭言(6): さよなら0系
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ページ執筆 1999. 9. 20
最終更新 2002. 10. 2

さよなら0系。でも、新しい時代はどこに?

ざんまい巻頭言 その6

最近の日本鉄道界の話題といえば、 東海道新幹線からあの0系が姿を消したというニュースだろう。 ただ、 鉄道ファン以外の方は、 0系という専門用語自体に多少のアレルギー反応を起こすかも知れない。 要するに、 東海道新幹線開業当時から走っていた、 いちばん古いタイプの新幹線電車である。 東海道新幹線で3列シートの向きが変わらない電車、 という言い方もできる。 細かいことをいうと 「3列シートの向きが変わらない」 という言い方は実は正しくない。 当初の車両は現在の回転式ではなく、 リクライニングしない 「転換式」 シートを備えていた。 転換式のシートがかけ心地が悪いということで、 方向転換ができなくなってもリクライニングするシートが良いだろうということで、 あの向きが変わらない (そのかわり、 若干リクライニングはする) 座席が登場したというわけだ。

「新幹線開業当時から走っていた」 という言い方も、 正確にいえば間違いであろう。 ニュースによれば3000両以上が新製された0系だが、 新製された時期は20年以上にわたる。 新幹線車両の寿命は12年と考えられており、 開業当時の車両はあらかたが実際に廃車になった。 現在走っているのは古いものでも1970年代半ば以降の製作のはずだ。

0系新幹線電車は、 まさに日本の高度成長を駆け抜けた列車だったが、 こうしてみると、 それと同時にこの時代の日本の鉄道界を良くも悪くも象徴する車両でもあったようだ。

0系の3200両新製とかいう数字は実に驚愕すべきものだ。 数だけいえば、国鉄在来線の通勤用103系の3447両という記録があるが、 103系も0系もほとんど同時期に生産された電車である (1960年代はじめから1980年代なかばまで)。 これ以外にも国鉄や民鉄ではこの時期、 20年程度の長期にわたり大量増備が行われた系列が多く見られる。 この間の社会の変化を考えれば、 それはまったく異常な事態としか考えようがないのだが。

そして、 時代を象徴する存在でもあった。 世界に技術力を誇る国としての戦後日本を象徴する存在であると同時に、 騒音問題、 列車の居住性、 輸送の信頼性や経済性などに関し、 山積する問題をかかえてもいた。

問題点を解決するためには、 車両の設計あるいはデザインを一からやり直すのがいい場合が多かったと思うのだが、 そのようなことは行われず、 小手先の変更に終始しながらずるずると作られ続けた。 好意的にいえば、 そのようなことを考える暇がないくらい利用者の増加が激しい時代であった、 ということになるのかも知れないが、 技術的には明らかに無気力な時代であった。

そういう意味からは、 明らかに0系を国鉄は長く 「ひっぱり」 すぎた。 0系がいまなくなると聞かされても 「今ごろかい、 遅すぎるよ」 というのが高木の正直な感想である。 だいいち、 なくなるといっても東海道区間から撤退するというだけで、 山陽区間ではまだまだ現役なのだから、 まだほんとにさよならというわけじゃないような気もする。

けれど、 やっぱり新幹線はコドモたちの憧れであり続けた。 新幹線が駆け抜けた時代に育てられたそうしたコドモのひとりが自分であることも、 また論をまたない。 東海道からの0系撤退、 と聞くと、 やはり懐かしい思い出も多いことに気づく。 新幹線に乗りたかったけれど、 親類が誰も新幹線に乗って行くような場所に住んでおらず、 家族旅行もしない家庭だったこともありそういう機会はないと諦めていたころのこと。 熱海で開かれた母の同窓会に女の子達がたくさん集まるので、 姉だけ新幹線に乗せてもらえたのに自分は留守番で悔しかったこと。 結局15歳になって中学の修学旅行に参加するまで乗る機会がなく、 それなりに技術的なことがらもわかるようになってからの初体験に感動したこと。 そして、 乗って行った先でのいろいろな出来事の数々……。

思い出は人それぞれにあるだろうが、 そのひとつひとつに0系が関わったとすれば驚くべきことだ。 新幹線0系電車は、 乗客の死亡事故皆無の35年間を走り抜くうちに、 知らぬ間に我々ひとりひとりの世界観に大きな影響を及ぼしていたようである。 その電車が東京駅に来なくなったことで、 確かにひとつの時代の終わりが告げられたのだろう。 ここは感慨をもって 「さよなら0系」 ということにしようと思う。 そして、 それが新しい時代の始まりでもあることを期待したいのだが…

JR化後、 スターは「ひかり」から「のぞみ」にかわり、 速度も当時に比べ格段に向上したけれど、 今でも昭和39年に 「日本国民の叡知と努力」 により決然と作られた東海道新幹線が、 日本の鉄道の先端を走り続ける。 そのことに問題はないだろうか。

戦後日本は、 特に都市において十分なインフラの整備をしてこなかった。 そればかりか、 土地買収をせずに建設した首都高速道路に代表されるように、 戦前までの蓄積を食い潰す形で高度成長期をやりすごしてしまった。 こうしたやり方の結果、 通勤鉄道の惨状が今に至るまで放置されるような状況も生まれた。

新幹線もいまその二の舞を演じつつあるのではないか。 東海道新幹線は輸送力が明らかに不足しており (その理由のある部分はダイヤの設定の悪さゆえなのだが)、 JR東海では品川新駅の建設によって輸送力の抜本強化を図ろうとしている。 しかし、 東海道新幹線の設備の老朽化は確実に進んでおり、 近い将来橋梁の修繕や架替えなどの大規模な工事を行う必要がでてくるはずなのである。 そのようなことが起きたときに、 あるいは地震等で現在の設備が徹底的なダメージを受けたときに、 代替ルートとなる路線の開発はまったくといって良いほど進んでいない。 進んでいるのは、 自民党政治のお得意な地方への予算ばらまきの一手段としての、 整備新幹線建設計画のみである。 それが無意味とは言わないが、 枝葉だけができても幹がしっかりしなければダメなことくらい、 明らかなはずなのだが。

30歳をこえた東海道新幹線、 もうスターの座は交代の時期だろう。 0系引退という大画期を迎えたいま、 我々はこの路線にそろそろ 「お休み」 をあげる準備に本腰を入れなければならない。


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高木 亮 webmaster@takagi-ryo.ac
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