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1999. 11. 6記
Written 6 November 1999

伊王島ってどんなところ?
A Primer of Ioujima

だいぶ時間が経ってしまったけれど、 伊王島の思い出 (そんなにないけど) をご紹介。

こんなところで学会するなよな(笑)

伊王島鳥瞰
▲伊王島中心街・馬込地区鳥瞰。
教会の建物が目立つ。
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伊王島の中心にでんと位置するのが、 「ルネサンス伊王島」 というリゾートホテル。 宿泊の部屋も、 大学の研究室など大人数で来ている人たちはコテージふうのお部屋に泊っている人がいて、 会社からお金は出たものの長崎市内のシングルルームに宿泊している高木としては羨ましい限りであった。 それにしても、 やっぱりリゾートは遊びに来るところであって学会しに来るところではないように思われる。

ひとたび島に来てしまえば、 リゾートホテルを一歩出ると、 本土までは船で20分、 きっぷ代は片道600円もする。 結果、 島で時間をつぶすことになるのだが、 正直なところな〜んもない。 まあ、 都会の人は 「何か」 ないと過ごせないというのも問題があるような気がするのだが…。

川か海峡か

伊王島を分断する「水路」をわたる賑橋
▲島の真ん中の橋、賑橋。
橋としては何の変哲もないが?
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島は 「人口よりタヌキの数が多い」 くらいの小さな町、 というのは学会で聞いた話なのだが、 これは長崎大学の先生がいったのであった。 すかさず地元伊王島町の助役さんがこれを否定し、 タヌキは数100匹しかいないよと発言して一件落着(?)したが、 小さな町であることにかわりはない。

伊王島町ホームページによれば、 炭鉱があったころの最盛期には人口7000人を数えたこともあったそうだが、 1972年閉山後人口が急速に減少したらしい。

島は実は一体となっておらず、 中央を数10メートルの、 「水路」 というか 「海峡」 というか、 が隔てている。 その水路上には3つの橋がかかっているが、 どれも特に (少なくとも今のところ) 珍しげな橋ではない。

島内をひとめぐり

珍しい 「見るべき」 ものがたくさんあるという感じの島でもない。 自転車で2時間くらいあれば全部見られるような感じである。 先ほどの鳥瞰写真は自転車で登れる山から撮影したものだが、 そこに大きく写っていた教会をそばから撮影してみた。 沖之島天主堂という名前である。 なお、 建物はしまっていて入ることはできなかった。

沖之島天主堂の裏側 沖之島天主堂の屋根 沖之島天主堂の正面
▲沖之島天主堂の裏側。
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▲沖之島天主堂の屋根。
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▲沖之島天主堂の正面。
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伊王島の墓地
▲伊王島の墓地。
「キリスト教式」なのだと思うが…。
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町作成の観光案内パンフレットをよくみると、 島内には金比羅神社というのはあるが、 仏教式のお寺はないみたいである。 島内の墓地もいちおうキリスト教式というか、 十字架が頭についたお墓ばかりである。 ただ、 これは何となく日本の他の地域で一般的な石の卒塔婆を立てたお墓の頭に十字架がついてるだけ、 という感じにも見える。 長崎市内の大浦天主堂には、 正面にあるマリア像の下の台座に 「日本之聖母 慶應元年三月十七日 信徒発見記念」 という碑文があるが、 ここもやはりそういう土地柄なのだな、 と感じさせられる。

伊王島灯台
▲伊王島灯台。
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島の北側には灯台があるが、 現地でもらったパンフレットによれば、 これは慶應2(1866)年に英・米・仏・蘭の4ヵ国と江戸条約を結んださい、 全国に8ヶ所設置された条約灯台のひとつで、 わが国初の鉄造洋式灯台だそうだ。 1945年に対岸で原爆が炸裂し、 下部鉄製が傷んだため改修され、 ドームだけが往時をしのばせているとのこと。 付近は公園になっているが、 しばらくいたのに誰も来る気配がなかった。 灯台のそばには記念館なるものがあるが、 これは日本では珍しい無筋コンクリート造であり、 灯台と同様英国人ブラントンの設計になるものだそうだ。 こちらも、 訪れた時間が悪かったのかすでに閉まっていた。
伊王島唯一のトンネル
▲伊王島唯一のトンネル。
そんなに大きくはないが、町営バスも通るらしい。
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ついでにどうでもいい写真をひとつ。 右の写真は、 島内唯一のトンネルである。 長さは数10メートルしかなく、 トンネル内での車の行き違いも困難だが、 町営バスの路線になっているくらいで島の住民には便利に使われているようである。

伊王島大橋

伊王島大橋予定地付近
▲伊王島大橋架橋予定地付近。
「本土」香焼町との間は案外近い。
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伊王島は長崎の港から船で20分弱しかかからない。 高速船「コバルトクイーン号」なるものが使われるが、 フルスピードを出す間もなく着いてしまうくらいで、 もともとそんなに九州「本土」から離れているわけではない。 特に、 伊王島町ホームページによれば、 島の最南端は 「本土」 香焼町と550メートルの 「大中瀬戸」 を隔て、 「指呼の間にあ」 るという。

現地でもらったパンフレットには、 この地点に 「伊王島大橋 平成9年度事業着手」 とある。 現地を見に行くと、 何だか泳いで向こう側に簡単に行けそうなくらい近い。 事業着手とはいえ、 海の真ん中に足場のようなものがひとつある以外、 それらしいものは何ら見られなかった。 完成するまでにはまだ何年かかかるのだろう。 パンフレットの地図には赤いアーチ橋の絵が書いてあったが、 ホームページの情報を信じるならアーチ橋ではここを越えるのは少々難しく、 斜張橋か吊橋になるのかも知れない。

注 (2001. 5. 9) …… 伊王島大橋の完成予想図が町のホームページに掲載されていたが、 これによればこの 「大中瀬戸」 に橋脚をたてた上で、 最長スパンをニールセン・ローゼ桁でとばし、 そのほかは箱桁でつなぐ橋となるのだそうだ。

町道塩町馬込線
▲町道塩町馬込線建設状況。
4つの橋が見える。
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家が建て込んでいる 「馬込」 地区は長崎市街から島を見て近い方にあるが、 山をはさんで島の反対側は何もない。 橋のある島の南の突端をまわってそちらがわにいくと、 ひっそりと道路工事が進められていた。 町道塩町馬込線と標識にあるが、 塩町地区と馬込地区は例のトンネルを通ればすぐだったりする。 海岸沿いをぐるっとまわるこの道にどんな意味があるのかいまひとつわからないが、 橋の取り付け道路にでもするのだろうか。

大橋架橋予定地点に近い方から順に、 「船井橋」(平成7年)、 「磯道橋」(平成8年)、 「後口平橋」(平成9年)、 「二本松橋」(平成10年) と4つの橋が年にひとつずつ竣工している。 どれも短い橋であり、 年にひとつずつ地道に投資が続けられているところは好感が持てなくもない。

ただ、 橋が出来て 「本土」 化してしまった伊王島は、 リゾート・アイランドたり得るのだろうか。 市街地から船に揺られて来るところにこの島の 「リゾート」 としてのよさがあるのではないか、 という気がしてならない。 島民はそれで便利になるのだろうが、 そのためにリゾート施設がダメになり、 島の収入が減ってしまったら、 せっかく作った 「大橋」 の維持管理費すら出ないという、 一時のアメリカの長大橋のような状況が現れてしまうのではないか、 と、 高木は心配になるのだが…。


参考資料

  1. ルネサンス長崎伊王島 ホームページ
  2. 伊王島町ホームページ
  3. 「伊王島町観光案内」, 長崎県伊王島町

高木 亮 / TAKAGI, Ryo webmaster@takagi-ryo.ac
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