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橋梁ざんまい >> [橋梁訪問記] 犬山橋
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ページ執筆 2000. 4. 2
最終更新 2003. 8. 29

鉄道・道路分離直前の犬山橋

橋梁訪問記
  • 写真撮影日: 2000年3月18日

土曜日をいちにちだけ使って、 愛知県と岐阜県の県境、 木曽川を渡る犬山橋をみてきた。 本ページに掲載の写真はすべて3月18日撮影。 わかる人はわかると思うが、 この3月に分離されるまでは鉄道と道路が同じ空間を走っている日本ではきわめて珍しい橋であった。 路面電車はそういう例があろうし、 鉄道でも長野の村山橋のように、 鉄道線路と道路とが分離されてはいるものの同じ桁の上に乗っている例はある。 しかし、 犬山橋の場合鉄道が路面電車のように道路と同じ空間に自動車と共に入り込んでいたのが珍しかった。 撮影日は、 もちろん鉄道と道路の分離前である。

01:列車から/From Train 02:列車から/From Train 03:列車から/From Train
▲(01)犬山方面走行中の列車から。
大きな画像(JPEG): 370kB
▲(02)犬山方面走行中の列車から。
大きな画像(JPEG): 298kB
▲(03)犬山方面走行中の列車から。
大きな画像(JPEG): 329kB

朝、 少し早起きして新幹線で名古屋へ。 名古屋からは名鉄線の特急 (特急券「ミューチケット」350円が必要) で犬山遊園駅へ。 橋の東詰はこの駅から歩いてすぐのところにある。 朝6時の「ひかり」に乗って9時過ぎには着いてしまう距離である。

今までいくつかの橋の写真を撮ってきた。 そのいくつかはホームページに掲載してあるわけだが、 その写真を撮るときそばに同じ目的で来ている人がいることはまあまずなかった。 ところが、 今回は鉄道写真という意味もあるわけで、 そうなると下の写真(04)のようにいわゆる 「鉄ちゃん」 たちと遭遇することになるわけだ。 しかし、 高木はそのことを完全に忘れていたので、 この人の群れを見て多少ショックせざるを得なかった。

だからといって、 首都圏からわざわざ出てきたのに写真を撮らずに帰るというわけにもいかない。 そこで、 この写真でいうと左端、 運転台ガラスのピラーに隠れそうなあたりに陣取り、 まずは銀塩の写真を何枚か撮ることにした。 しかし、 4月2日現在まだこのフィルムを現像してないので、 その分はまだ公開できない (早くしたいのだが…)。

何列車かが行き交うのを眺めてから、 橋を渡ってみた。 橋はそれほど長いものではなく (「鉄の橋百選」によれば、 橋長233.175m、 幅員16.154m、 支間長73.152m×3径間となっている)、 歩いてゆけばすぐに向こう側に行ってしまう。 橋の反対側はちょっと行けば新鵜沼駅。 そのさらに裏側にはJR高山線の鵜沼駅が控えている。

新鵜沼から犬山遊園まで列車に乗ってみることにした。 上の写真(01)〜(03)はそのとき車内から撮ったものだが、 自動車に合わせ列車はゆっくり進むので写真が撮りやすい。

04:鉄ちゃん/\ 05:東詰/East portal 06:東詰/East portal
▲(04)犬山遊園駅付近の「鉄ちゃん」。
大きな画像(JPEG): 115kB
▲(05)橋東詰を走行中の列車。
大きな画像(JPEG): 96kB
▲(06)橋東詰を走行中の列車。
大きな画像(JPEG): 95kB

07:東詰/East portal 08:列車から/From Train 09:東詰左親柱/Portal column (east portal left)
▲(07)橋東詰を走行中の列車。
大きな画像(JPEG): 109kB
▲(08)橋東詰を走行中の列車。
大きな画像(JPEG): 115kB
▲(09)橋東詰、左側の親柱。
大きな画像(JPEG): 92kB

その後、 ふたたび橋の東詰に立ち、 いくつかの列車が行き交うのを眺めることにした。 現場はまだ工事の真っ最中という感じで、 大型の工事用車両が行き来し、 おまけにすぐわきで進められている新橋の工事で交通規制がしかれていることもあり、 あまり写真をとるのに安全な状態とはいえなかった。 写真(10)をとるときなど、 親柱にもたれて休んでいる工事関係の方が、 カメラを向けている高木に気を使って動いてくれる一幕すらあった。 高木としては工事中の様子がわかっていいのでわざと人物込みで撮ろうと思ったのだが、 ご迷惑お掛けしてしまいました。 すみません。 (多分ここで謝ってもしょうがないけど)

今回は鉄道と道路が共存している犬山橋を撮るのがやはり主題だろうが、 橋それ自体も撮っておく必要があるだろう。 写真(11)にあるように、 橋は下路曲弦ワーレントラス3連。 石積み調の橋脚が美しい。

ただ、 この橋脚はもとは石積み独立2本柱だったらしいのだが、 洗掘によって危険になったため、 1987〜88年に補強されて現在の姿になったとのこと。 洗掘といえば、 犬山は 「日本ライン下り」 の終点なのであった (中学の修学旅行でこの日本ライン下りを体験し、 そのとき初めて犬山橋を見てショックした思い出がある)。 この日は静かに流れる木曽川だったが、 写真(12)にあるような岩山をみると、 このわきを侵食しながら流れる川のエネルギーを感じることができる。 ちなみにこの写真(12)の山のてっぺんには何やら怪しげな建物がある。 近づければ見てきたかったのだが、 入口と思しいものは立ち入り禁止状態であった。 いったい何があるのだろう?

10:東詰右親柱/Portal column (east portal right) 11:犬山橋/Inuyama Bridge 12:橋のそばの山/Mountain near the bridge
▲(10)橋東詰、右側の親柱。
大きな画像(JPEG): 129kB
▲(11)犬山橋そのもの(上流側から)。
大きな画像(JPEG): 122kB
▲(12)橋のわきの怪しい山。
大きな画像(JPEG): 75kB

ところで、 この橋の形式は曲弦下路ワーレントラス。 ワーレントラスというのはこの橋のように斜材の 「向き」 が1本おきに前・後と交互になっているタイプのものである。 ワーレントラスの場合垂直材はなくてもよく、 その場合に上下の弦が平行なら、 富士川などを渡る東海道新幹線の橋のように2等辺3角形がずらり連続することになる。 しかし、 昔の橋だと垂直材があって、 なおかつ各径間の中央ふきんが高いタイプ、 いわゆる「曲弦」トラスが使われることが多いようだ。 犬山橋も1925年11月の開通であるからこのタイプである。

ただ、 トラスは本来部材を 「軸方向にだけ力(圧縮力または引張力)がかかる」 ようにして組み合わせたものだと思っていたのだが、 この橋の上弦材はきれいな円弧を描いているように見える。 そうだとすると、 部材も曲がっていることになる。 部材が曲がっていると 「軸方向にだけ力(圧縮力または引張力)がかかる」 というわけにはいかなくなるはずなのだが、 まあ細かいことはいわないでも、ということなのだろう。

しかし、 これが補剛アーチになると話が違うらしい。 九州の通潤橋のようなアーチ橋では、 アーチが「踏ん張る」支点に間隔を広げる方向の 「水平反力」 が働く。 補剛アーチとは、 かんたんにいうとこのようなアーチの水平反力を桁自身によって受け持たせる構造のもので、 その両極端が 「タイドアーチ」 (軸方向力だけを持つ部材で桁を構成し、 アーチ両端を結んだもの) と 「ランガー桁」 (ふつうのプレートガーダーにアーチを取り付けて「補強」したもの、 アーチ部材には軸方向力だけが生じる)、 両者の中間が「ローゼ桁」 ということになっている。 ランガー桁は桁がアーチ部材よりずっと太く、 逆にタイドアーチの場合アーチ部材が桁よりずっと太い。 しかし、 ローゼ桁の場合、 最近はやりの 「ニールセン・ローゼ桁」 というタイプならアーチ部材と桁部材がだいたい同じ太さになっているのだが、 ランガー桁の場合は折れ線じゃないとだめで、 アーチ部材がちょっとでも曲がっていると、 見た目にはランガー桁と区別がつかないくらい桁が太くてもローゼ桁に分類されてしまう。 橋の勉強を体系的にしたことのない身としては、 どうもこの辺が納得いかないのだが…。

13:踏切予定地点/here will be level crossing 14:新犬山橋/New Inuyama Bridge 15:犬山城から/From castle
▲(13)橋東詰の線路。
付近は踏切化される予定らしい。
大きな画像(JPEG): 89kB
▲(14)新犬山橋(下流側から)。
大きな画像(JPEG): 66kB
▲(15)犬山城から。
大きな画像(JPEG): 80kB

16:犬山城から/From castle 17:犬山城から/From castle 18:犬山城から/From castle
▲(16)犬山城から。
大きな画像(JPEG): 81kB
▲(17)犬山城から。
大きな画像(JPEG): 124kB
▲(18)犬山城から。
大きな画像(JPEG): 94kB

19:犬山城から/From castle 20:犬山城から/From castle 22:犬山城/Inuyama Castle
▲(19)犬山城から。
大きな画像(JPEG): 81kB
▲(20)犬山城から。
大きな画像(JPEG): 82kB
▲(22)犬山城。
大きな画像(JPEG): 363kB

そのあと、 まあお約束ということで犬山城へ出かけて、 またまた橋の写真を大量に撮影してきた。 列車がゆっくり走る区間なので、 ヘタな高木でも慌てず撮影できるので楽だった。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

その犬山城の付近に 「ライン大橋こちら」 などと書いてあるから何のことかと思って歩いていって
木曽川のライン大橋
みたら、 なんのこと はない、 取水ダムの上にかけられた橋なのであった。

付近にあった「濃尾用水」完成の記念碑には、 古くからあった3用水の取水口を 「合口」 し、 さらに愛知県の一部地域を灌漑区域に加え、 合計22,000haの耕地に農業用水を送る大事業で、 昭和32年から10年の歳月をかけたとある。 最近何とか河口堰はいらないとかいろいろこの種の問題が取りざたされることが多くなったが、 この種の設備がもたらした便益を我々はともすると忘れがちなのかも知れない、 と思う。 しかし、 それにしてもこのようなものを作っておいて、 その堰上の橋が 「ライン大橋」 というのでは、 堰との併設橋の恰好悪さもあって何か名前が相応しくないと思わざるを得ない。

▲(26)ライン大橋
30:彩雲橋/Saiunbashi bridge
▲(30)彩雲橋。
大きな画像(JPEG): 343kB

ライン大橋にはハズされたが、 お城からの帰り道に 「彩雲橋」 という橋を見掛けた。 10メートルくらいの橋長だからそんなに規模は大きくないが、 下のアーチをよく見ると古レールっぽいのである。 橋の形式としては古レール利用のスパンドレルブレースドアーチということではないだろうか。 現地の銘板には昭和4年3月竣工とある。 珍しい橋なのかどうか知らないが、 古レールの来歴なども含め興味が持たれるところだ。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

さて、 最後に犬山橋のその後について少し。 現地がどうなったか見に行ったわけではないのでよく知らないが、 その後3月28日に新橋が供用開始となり、 道路と鉄道が完全分離された。 写真(02)などでみてもわかるように旧橋は少々いたんでいるので、 この後補修工事が行われるとも聞いている。 アスファルトは除去されたりするのかとか興味は尽きないが、 まずは道路の荷重から解放された犬山橋旧橋がこれからも長く活躍することを祈りたいものである。


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高木 亮 webmaster@takagi-ryo.ac
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