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2000. 4. 23. / April 23, 2000

日本政界に絶望する
Japanese politicians making us desperate

目次

石原都知事の役割は終わった

Tokyo Metropolitan Governor Ishihara has done all his job

The segregative statement of Mr Ishihara, current Tokyo Metropolitan Governor, revealed that he should be recalled immediately from the internationally standard "common sense". However, many Japanese seems to be after him. Being similar to Hitler before his ruling of Germany, Mr Ishihara is symbolic of the current political status of Japan, turning strongly to the extreme right.
石原都知事は、 運輸大臣時代に 「ツルの一声」 でJR成田エクスプレスと京成スカイライナーの現成田空港駅への乗り入れを実現させた人である。 彼のあとで運輸大臣になって、 契約社員のスチュワーデスの安全性がどうのと意味不明の発言をした亀井静香とは雲泥の差、 運輸政策に関しては的確な感覚を持った人だと思う。 そんな人なので鉄道屋としてはもったいない気がするが、 今回大騒ぎしている 「三国人」 発言をしたことによって、 彼の都知事としての役割はすべて終了したと考えられる。 これ以上彼が都知事の座に居座ることは、 日本の国益上非常にまずい。 何としても彼には即刻辞めてもらわなければならない。

就任前から、 中国のことを 「シナ」 といって憚らず、 そのことを指摘されたら 「英語の China だってシナと同じ語源じゃないか」 と開き直った。 そのこと自体は正しいかも知れないが、 何もすでに定着した別な言葉があるのにわざわざ差別的と考えられる言葉を使うことはないのである。 つまり差別的な意図があるからそういう言葉が選択されると考える以外にない。

それは就任当初の指摘であり、 「この人、大丈夫かなあ」 と多少不安だったのだが、 それからしばらくの間はわりと平穏に経過した。 よかったなあ、 と思っていたところ、 れいの都営12号線命名問題が浮上した。

都営12号線は現在新宿から光が丘までのいわゆる放射部が営業運転に入っているが、 近々新宿から麻布、 浜松町、 両国、 本郷三丁目などを回って新宿に戻る、 いわゆる環状部が開業する。 しかし、 放射部が開業後現在まで愛称はつけられていなかった。

東京の地下鉄は銀座線・丸の内線なども含めすべて路線番号がついており、 例えば銀座線は東京3号線となる。 この番号による呼び方は、 いまでも運輸政策審議会答申などにおいて使われている。 都営地下鉄については、 現在の新宿線の開業までは愛称がなく、 「都営1号線」(現在の浅草線)、 「都営6号線」(現在の三田線) と呼ばれていた。 しかし、 それ以降は都の地下鉄も含め愛称がつくようになった。 そうした通例に反し、 12号線だけが愛称なしの番号で呼ばれていたのは、 環状部の開業時に 「都営環状線」 という愛称をつけたかったからだろう、 と鉄道ファンの多くは思っていたようだ。

そういうおおかたの予想通り、 路線名の一般募集に対して 「環状線」 に類するものの応募がもっとも多かったそうだ。 選考委員会もそれに応じ、 「都営地下鉄環状線」 を正式路線名とし、 愛称を 「ゆめもぐら」 とする、 といったん決定した。 ところが、 なぜかそれに対し石原都知事が激怒したというのだ。 「乗ったままぐるっと1周できないのは環状線ではない」 とか理由にならないことをいって、 その決定を破棄させた。 困った都交通局側は、 彼のお気に入りだった 「大江戸線」 という名称に変更し、 これが正式路線名となってしまった。

大江戸線というのは応募20位。 最初の路線名を決めた選考委員会ではこの路線名をローマ字で書くと "Oedo" となり、 「おえど」 だか 「おおえど」 だかわからなくなる、 というような理由から、 早い段階で選考対象から外していたという。 そういうのが路線名になるのだったら、 最初から選考委員会なんかやる必要はなかった。 彼が勝手に決めりゃあいいことである。 バカじゃないのか、 と思った。

こんなふうだから、 きっとそのうち何かとてつもない失点をおかすに違いないと思っていた。 「三国人」 発言問題に接して思うのは、 まあ予想通りやってくれたな、 というところだ。

今回の問題は、 石原都知事による9日の陸上自衛隊記念行事での発言の中に 「今日の東京をみますと、 不法入国した多くの三国人、 外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している」 「すごく大きな災害が起きた時には大きな大きな騒じょう事件すら想定される」 「治安の維持も1つ皆さんの大きな目的として遂行して頂きたい」 というのが含まれていたことだ。

当初発言を報道した共同通信社は、 前記の発言の 「不法入国した多くの三国人、外国人」 という部分を 「三国人」 と省略して伝えたそうで、 石原都知事はそのせいで意図が正しく伝わらなかったと釈明している。 しかし、 正しく言葉が伝えられたところで、 このような発言が人種、 民族ないし国籍による差別意識に基づいたものであることは覆い隠しようがない。

だいいちに、 それほど凶悪な犯罪が外国人によって行われているのか疑問だ。 凶悪性というのをどのように考えるかは難しいところだが、 例えば世界に類例を見ない凶悪犯罪である地下鉄サリン事件のどこに外国人が関与しただろうか? こういうことをいうのなら、 具体的なデータで示してくれなければ困るわけである。

それでは実際その辺りはどうなっているのだろう。 平成11年度犯罪白書のあらまし・第4編に、 外国人犯罪に関する記述がある。

外国人による交通関係業過を除く刑法犯検挙人員を, 来日外国人とその他の外国人別に見ると, 来日外国人では, 昭和55年には782人であったが, 平成10年にはその約7倍の5,382人(前年比1.0%減)となっている。

道交違反等交通関係法令違反を除く特別法犯の送致人員について, 来日外国人とその他の外国人別に見ると, 来日外国人では, 昭和55年には2,280人であったが, 平成10年にはその3.5倍の8,036人(同4.9%減)となっている。 この間の3年から6年にかけての増加が著しい。

「来日外国人とその他の外国人別に見る」 という言葉の意味がよくわからないが、 この数字を見る限り確かに1980(昭和55)年に比べれば増えているが、 前年比でいえば減少しているのである! この数字を信じるなら、 彼の発言は完全な思い込みということになる。

もっとも、 「朝日」 の23日朝刊がこの件について4名の有識者による座談会を掲載しているが、 その記事に掲載されたデータでは平成11年 (1999) に関しては前年からやや増えているので、 このことだけで減少傾向にあると断言できるわけではない。 しかし、 平成6年頃のピークに比べればこれも多いとはいえない数字である。 これが数年間一本調子で増加しているというのなら、 「すごく大きな災害が起きた時には大きな大きな騒じょう事件すら想定される」 というのも理解できないことはないが、 このような傾向であるなら到底外国人犯罪者を (それが不正入国であろうがなかろうが) 騒擾事件の潜在的犯人予備軍として名指しする根拠にはならない。 さらに 「治安の維持も1つ皆さんの大きな目的として遂行して頂きたい」 というのをなぜ自衛隊の前でいわなければならないか。 治安の維持はとりあえず警察の仕事ではないのだろうか。

差別が問題視される国際常識からみるなら、 彼はこの段階で即座に知事職を解かれるべきなのである。

ところが、 13日までにこの件で都庁に届いた意見は6割が石原氏に好意的なのだという。 このことは、 結局日本人の人権意識の希薄さを示してもいる。

石原氏は金融機関を狙い撃ちにした 「外形標準課税」 導入とかで気勢を挙げている。 今回のことを 「彼の実績と比べればとるに足らないこと」 とし、 支持する人も多いように見える。 しかし、 「外形標準課税」 問題と今回の差別意識とを合わせてみると、 あのヒトラーのやったことにあまりにソックリであることに気がつく。 彼が首相であれば、 ヒトラーがそうであったように、 多くの人間が気づかぬうちにあらゆる自由を奪われていることになったろう。 彼が首相でないのはまったく不幸中の幸いだったというべきだが、 このように彼を礼賛する雰囲気が醸成されつつある日本の現状はあまりに危険と言わなければならない。 最近中国の首脳が 「日本の極右に警戒せよ」 という旨の発言をしたと聞いたが、 こうしてみるとその発言は悔しいことに実に正鵠を得ているのである。

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小渕氏危篤はクーデター?

Mr Obuchi critical --- Is it a coup d'etat?

Mr Ishihara's case is a local goverment's issue, but Mr Obuchi's case is the one in the central government. After he was brought to a hospital in Tokyo because of celebral infarction, Japanese government virtually lost the leader for nearly 24 hours. Even more surprising was that the government executives kept this secret until they decided to support Mr Mori as the new Prime Minister. Not only hiding information, they seem to be telling a false story. This is a good objective of ridicule by people outside Japan; it is just like the Kremlin of USSR.
石原都知事の元気さと比べると中央政界は元気がないと見られがちだが、 いわば 「知らないうち」 に小渕前首相もいろいろやってくれたものである。 恥も外聞もない、 民主主義のルール無視の自自公連立政権。 国旗国家法案や盗聴法、 ガイドライン関連法。 景気回復のためと称したばらまき形予算編成による財政破綻。 そして憲法調査会の設置など。

これは非常に危険な兆候だ。 日本はいまや政治的には確かに極右に支配され、 戦前に極めて似た雰囲気のなかを暴走しつつある。 実際、 「学校現場等で強制は行わない」 という条件のもとで国旗国家法案が成立したのに、 それからすぐ実際には強制以外の何者でもない状況が各所に見られるようになった。 「国歌を歌わないやつは日本から出てゆけ」 などと時代錯誤なバカを新聞に投稿する輩も出る始末だ。 まあ、 そんなにいうなら出てってもいいけどね…。

その小渕前首相がこの2日、 突然の病に倒れて東京の順天堂医院に運び込まれたが意識不明の危篤状態、 それを受け森新首相が突如出現したのはご存知の通り。 ところが、 小渕氏の病状が国民に知らされたのは3日になってからで、 小渕氏から臨時代理を依頼されたことになっている青木官房長官の発言もころころ変わっており、 何を信じていいのかさっぱりわからないときている。 諸外国メディアも 「あまりのことに呆れた」 という感じの報道ぶりで、 なかには旧ソ連のクレムリンのようだといったところもあったとか (いや、 高木もそう思いました)。

4月7日に、 朝日の 「天声人語」 が 「小淵総理は実は幽閉されている」 とかいう珍妙な説を紹介している。 そのなかでこの筆者氏は、 その珍妙な説を否定する材料がまったく与えられていないことにはたと気づく。 実際、 この4月7日時点どころか現在に至るまで、 小渕前首相の病状を発表しているのは公式には青木官房長官だけだ。 病院の担当医による記者会見すら未だに行われていないのである。 これは異常な事態というべきである。

似たようなことを、 「週刊新潮」 の4月20日号が伝えている。 記事「永田町激震 7つの疑問」では、

  1. 総理交代政変はクーデターではないか
  2. なぜ日本の内閣は「副総理」を置かないのか
  3. 医師団はなぜ「小渕さん」の病状を発表しない
  4. 小渕さんをいつまで「生ける屍」にするのか
など7つの疑問を掲げているが、 その答えは天声人語の 「幽閉」 説よりはもっともらしい話である。

すでに伝えられているとおり、 森氏を小渕氏の後継として擁立するというストーリーは、 森氏本人、 亀井静香氏、 青木官房長官、 野中自民党幹事長代理、 および村上正邦氏の5人が赤坂プリンスホテルのスイートルームですべてを決めた、 という話だ。 その間の経緯はすべて秘密なのだから、 これだけだってまったく旧ソ連ばりの秘密主義である。 この5人の会合は2日の夜10時頃から行われていたようだが、 それより前、 2日夕刻には青木氏が小渕氏を見舞い、 そこで臨時代理に関する極めて曖昧な指示を受けたことになっている。

ところが、 この記事によれば2日未明(午前1時)に小渕氏が病院に運び込まれた段階で、 小渕氏はすでにまともに口がきける状態ではなかったというのだ。 つまり、 青木氏が2日夕刻に会って何らかの話をしたというのは嘘八百。 そして、 その5人がこのことを知ったのは2日の夜10時、 赤坂プリンスでの密談の席上だという。 それまで5人は小渕氏の病状を甘く見ており、 密談の席上で病状を知って事態の深刻さを初めて把握した。 しかし、 この時点ですでに21時間にわたり首相不在の時間ができていたものだから、 この事実が明らかになれば自民党政権の崩壊につながるとこの5人は考えたという。

そこで、 3日には青木長官によるウソが発表される。 この段階で、 もはや医師団にほんとうの経過を発表させることはできなくなった。 そこで、 家族を何とか言いくるめ、 青木長官による大本営発表がタレ流されることになったというのだ。

これ以外の詳細は記事を参照されたいが、 この内容が仮に虚偽であったとしても、 このような推測が出てくるような状態になるほど情報が公開されていない、 という事実を重視すべきであろう。

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有珠山噴火くらいでエイプリルフール記事をやめるな

Do not let Mt. Usu blow April Fool's day articles away from Japanese newspapers

This condition might be a reflection of the fact that Japanese people does not have a good sense of humor. From this point of view, it was a pity that "April Fool's day" article on 1 April was simply "blown away" by the burst of Mt. Usu volcano in Hokkaido. Some people might have said it unsuitable to write a joke on the very day of such a disaster, but the sense of humor might be most necessary under this kind of severe circumstances; I believe it is one of the ability of people that make democracy work right.
最後に突然関係なさげな小見出しがついたな、 と思う方もおられようが、 ここまでお読みいただいたのならせっかくだから最後まで目を通してほしい。

以前、 別なページで上坂冬子氏の著書 「原発を見に行こう」 をケナしたが、 彼女はこのなかで 「一旦スローガンがかかげられると、 たちまち "一億総火の玉" となって燃え上がる」 日本人の根性のことを揶揄している。 原子力問題に絡んで、 高木はこのページにおいて 「そんなものがほんとうにあるのかも疑問だ」 と書いている。 しかし、 このような日本の極右化傾向をみていると、 実はこのようなものが存在するのかもしれないと感じざるを得ない。

1998年になくなった詩人の田村隆一さんは、 生前アガサ・クリスティの小説などの翻訳も手がけている。 そのなかのひとつ、 ハヤカワ・ミステリ文庫におさめられた 「魔術の殺人」 の巻末におさめられた解説 「陶器のような青い瞳」 において、 田村氏は次のように書いている。

ぼくが心から感嘆するのは、 クリスティーの黄金期が、 第二次世界大戦とともに訪れることである。

一九三九年九月一日、 ナチス・ドイツがポーランドに侵攻するや、 その二日後、 英・仏はナチス・ドイツに宣戦布告する。

その年の後半には名作 「そして誰もいなくなった」 が発表され、 四○年代に入るや、 ダンケルクの悲劇やパリ落城、 一九四四年六月、 連合軍がノルマンディに上陸して大反攻に転じると、 ナチス・ドイツは報復兵器V一号でロンドンを爆撃しはじめる。 一九四五年五月七日、 ベルリン陥落によってドイツ降伏。

この激動の時代に、 クリスティーは、 「白昼の悪魔」(一九四一) 「書斎の死体」(一九四二) 「ゼロ時間へ」(一九四四) という屈指の傑作を書きつづけるのである。 しかも、 クリスティーの探偵小説を、 長期にわたる独空軍のロンドン大空襲に耐えつづけながら愉しんでいた広汎な読者がイギリスにいたことを思うと、 ぼくは舌を巻かざるをえないのだ。

しかも、 戦時下のクリスティーの探偵小説には、 硝煙の匂いを嗅ぎつけることさえできないというのは、 ぼくのように太平洋戦争の軍事体制下の息ぐるしい社会で青春をおくったものにとって、 想像を絶するほかないのである。

長い引用になったが、 皆さんはどう思われただろうか。 この文章を読んだのはもうずいぶん前のことだが、 最近の日本の政治状況をみて、 はじめて高木もその意味がおぼろげにわかるようになったと思う。

日本人にはユーモアのセンスがないといわれる。 このことにからみ、 田村氏は以上の引用部分に続けて 「イギリス人の『ユーモアのセンス』ということがしばしば言われてきたが、 その背景には人間の文化と市民社会とが、 開かれた個人の生き方が、 ものをいっているのである」 (下線部は原文では傍点つき)と述べている。 つまり、 ユーモアのセンスのなさとこうした目をおおわんばかりの絶望的な政治状況とは、 実は関係があるのではないか。

「一旦スローガンがかかげられると、 たちまち "一億総火の玉" となって燃え上がる」 というのはいい意味での日本人のまじめさの別な側面でもあろう。 いま、 戦前のある時期のような雰囲気のもと、 そのおかげで日本はたしかにまた暴走しそうな気配を抱えている。 しかし、 それを議論によって止めるのはけっして容易なことではないと思われる。 なぜなら、 相手は議論で動けるような思考力を元から持っていないか、 既に失ってしまっているかのどちらかだからだ。

そうであればなおさら、 国際的に通じる 「ユーモアのセンス」 ということについていま考えてみることが有効なのではないかと思う。

小渕氏が倒れた前日の本年4月1日、 つまりエイプリルフールの日の新聞各紙は、 北海道・有珠山の噴火を大きく取り上げたが、 実は昨年(1999)の同日、 日本の新聞では珍しく朝日がエイプリルフール記事を掲載していた。 その小渕氏が、 旧ソ連のゴルバチョフ氏、 イギリスのサッチャー氏など、 海外の著名な (ただしすでに第一線は引退した) 政治家を顧問として日本に招く、 という内容だった。

その記事は高木としては面白い冗談と思わなかったが、 当然今後毎年継続されるものと考え、 来年の4月1日はどんな記事かなと期待したのを覚えている。 だから、 有珠山の噴火の記事はあってもエイプリルフール記事のない今年4月1日の新聞を見て、 いたく幻滅したものだ。

せっかくはじめたエイプリルフール記事、 朝日には育ててほしかったと思う。 今年、 朝日が実際にエイプリルフール記事を準備していたのかどうかもわからないが、 こういうのは4月2日には掲載できないのだから、 有珠山噴火などという大ニュースがあろうがなかろうが、 断固やってほしかった。

中には不謹慎だというやつも出てくるだろうが、 被災地の方々が、 あるいは被災者と親しい方々がエイプリルフール記事を読んで、 そのうちのある数の人がユーモアに微笑んでくれたとしたなら、 それはそれで役に立ったと言えるんじゃないか。 こんなつらいことでも冗談で笑い飛ばすくらいの余裕があって、 初めて民主主義も正常作動するようになるのかも知れない、 と思う。


参考文献

  1. 平成11年度犯罪白書のあらまし・第4編
  2. 「永田町激震 7つの疑問」, 週刊新潮, 2000年4月20日号, 45, 16, 新潮社 (2000)
  3. クリスティー, 田村訳: 「魔術の殺人」, ハヤカワ・ミステリ文庫, 早川書房 (1982)

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高木 亮 / TAKAGI, Ryo webmaster@takagi-ryo.ac
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