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2000. 12. 20. / December 20, 2000

日比谷線事故の遺した課題
What is posed by the Hibiya Line accident

目次 / Contents

日比谷線事故の最終報告

Final report by the investigation committee of Hibiya Line accident

(English abstract not yet available)
個人的なイベントがいくつか重なったため、 だいぶ更新があいてしまった。 この間に、 日比谷線事故の中間報告はおろか、 最終報告までまとまってしまった。

まずは、 短期間でこれだけの成果をまとめた事故調査検討会の方々に心から敬意を表したい。 また、 現場で線路や車両などの保守に日々たいへんなご苦労をされている関係の方々のためには、 保守上の初歩的なミスが事故原因とされなかったことを喜びたいと思う。

しかし、 一連の報告ではまだ技術的な因果関係が明らかになっただけであるような気がする。 ほんとうのことをいえば、 事故原因の調査としてはやっと 「緒についた」 ばかりという感じである。

わたしのページで日比谷線事故を取り扱うのもこれで最後にしたいと思うが、 この事故が私に残した教訓も広範囲かつ重いものであったといわざるをえない。

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これで終わりか?原因調査

Is this really the end of investigation?

(English abstract not yet available)

運輸省の事故調による事故原因調査はおわり、 対策もとられることにはなった。 しかし、 これで原因の追究は終わりであるといわれると、 何か不満を抱かざるをえない。

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護輪軌条問題

当たり前のことだが、 いろんなことを発言するためには、 まず基礎が間違いなくわかってなければならないと思う。 3月の事故発生以来ウェブページを開設した身としては恥ずかしい限りなのだが、 その点で明らかに高木も失格だ。 まずはそのことから説明しようと思う。

今回の日比谷線事故に関し、 いわゆる護輪軌条がなかったことが事故の原因だ、 とする議論がある。 なくなった被害者のご遺族や一部マスコミは、 営団が脱線防止ガードの設置を 「怠った」 ことが過失である、 としている。

このことの是非は後で述べるとして、 ここで高木は護輪軌条の機能に関しけっこう初歩的な誤りをおかした。 簡単にいうとこの種のものには大きく分けて:

  1. 脱線した場合に車両が線路から大きく逸脱することを防ぐもの
  2. 脱線(車輪がレールから「外れる」こと)そのものを防ぐもの
の2種がある。

前者は安全レールとか称されるものである。 走行用のレールの他にもう1本か2本レールを用意しておく。 脱線した場合、 車輪が走行用レールとこのレールの間に落ち込むことになり、 車両が軌道からおおきく逸脱することを防ぐ。 営団は、 30年ほど前には護輪軌条のたぐいのものを 「磨耗防止レール」 と呼んでいたと言明しているらしいが、 ここで磨耗防止レールと呼んでいるものはまさにこの種の安全レールである。 レールの磨耗を減らす効果はまったくなく、 レールが磨耗して破断等に至った場合の安全策として考えられるものである。

後者は例えば分岐装置や踏切にある。 輪軸が軌道から外れそうになった場合、 これらの装置にどこかがあたり、 脱線それ自体を防ぐものだ。 曲線でも、最近は逆L字型のものが取りつけられるようになっているが、 このガードとレールとの間隔は高木が見た図面では65ミリ+スラック、 ということになっている。 急曲線でのスラックはだいたい20ミリ程度だから、 だいたい80ミリ程度、 つまり10センチないことになる (実物を見る限りもう少しありそうにも思われるが、 それでも10センチを大幅に超えることはなさそうだ)。

輪軸の左右どちらかの車輪が乗り上がり脱線するためには、 乗り上がる車輪のフランジ部分がレールに触れる必要があるが、 そこまでいくと反対側の車輪の 「裏側」 がこのガードにひっかかるかたちになる。 従って、 脱線が防止されることになる、 つまり後者のタイプである。 しかるに、 高木はこのガードの機能が前者のタイプと同じものだと思っていた。 恥ずかしいことだが、 実物を知らないとこういうことになるわけである。

それにしても、 これを設置するのを営団が 「怠った」 という批判がなされたが、 一連の報道等を追ってみた限りでは、 これに関していかにも粗雑な議論しかなされていない。

曲線部にこの種のレールやガードをつけるというのは、 確かに一般によく行われていることではある。 しかし、 それは主として脱線を起こしやすい貨物列車に対する対策としてであって、 今回脱線したようなボギー電車 (2軸4輪の輪軸をもつ台車を、 1両あたり2つ取りつけた電車) はもともと対象とは考えられていなかったようである。 JRの複々線区間などでは、 貨物列車が走行する可能性がある線路にはガードがあるのに、 電車列車のみの場合ガードがない、 というケースを多数見いだすことができる。

貨物列車の競合脱線に関する研究は、 1963(昭和38)年に国鉄東海道本線・鶴見駅付近で起きた 「鶴見事故」 (死162人・傷120人) を契機として大がかりに進められた。 根室本線の狩勝峠越えのルート変更で廃止になった旧線を使って、 現車による脱線試験を行っている。 安全レール等の敷設はこうした研究の成果をふまえて行われたものである。 もっとも、 1963年の鶴見事故から10年後にも、 ほぼ同じ個所で同様の競合脱線事故が起こっている。 ただし、 このときは防護手配によって事なきをえている。 この例からわかるように、 この種の事故を根絶するのは難しい話であるということ、 および過去の事例から見ても安全対策は事故を教訓として進められる、 ということを史実として理解する必要がある。

では、 営団地下鉄は脱線防止ガード等の設置を 「怠った」 といえるのだろうか。 残念なことに、 現在までの調査等の結果を見る限り、 この疑問に対しイエスともノーともいえないように思われるのである。

まず、 脱線防止ガードがこの種の事故を防ぐために有効な手段であることは、 おおむね論をまたない。 もし、 前もって脱線の可能性が予測できるなら、 脱線防止ガードの積極的な使用は強く推奨されるべきである。

しかし、 今回の事故の場合、 複雑な線形のうえ脱線地点のすぐ後に 「乗越しポイント」 が設けられていた。 乗越しポイントとは、 通常の電車はショック等いっさいなしに通過できるが、 保守用車両が通るさいには通常のレールを 「乗り越える」 ようにして、 分岐が可能となる装置である。 脱線した電車は、 この乗越しポイントに押し出されて隣接線路にはみ出し、 反対方向の電車と接触したと考えられている。

このようなものがある場合に脱線防止ガードをしっかり設置することは、 不可能ではないようだがきわめて面倒である。 それに、 鶴見事故のような貨車に関しては、 前記のごとく対策をとった後にも事故が続発している。 このことからみても、 脱線防止ガードが (有効性はあるにしても) 必ず事故を防ぐものではあり得ないと理解すべきだろう。

1986年に本線上での脱線事故を経験した東急は、 脱線防止ガードをかなりがっちり取りつけることにしたらしく、 その面倒をあえて行っている場所をあちこちに見いだすことができる。 ガードの設置基準もR450mより急な曲線となっており、 さらにS字カーブなどにはこれより相当緩やかな曲線にも設置されている。 結果、 ほとんど直線としかみえないような場所にまでガードが設置されているケースも、 随所に見ることができる。 その一方、 例えばわたしの自宅の近所を走る東武電車は、 日比谷線事故後の緊急指示をうけR200mの曲線に脱線防止ガードを設置したが、 その設置の仕方もいたって不真面目、 しかもとちゅうにATS地上子がある場所はガードが切れている。

営団地下鉄は事故前には半径(R)140mより急な曲線の場合を設置基準としていた。 これは、 ATCなど保安度の高いシステムを入れた結果、 過速度による脱線は起きにくいと考えてのことである。 同じ東京の都営地下鉄の基準はR160mより急な曲線ということだったが、 こちらに至っては営団より新しい年代の建設であり、 設置基準に該当する区間がなかったそうである。 地下線内は資材の搬入等にも非常な苦労があるから、 このこと自体を責めるべきではなかろう。 豊富な現場経験をお持ちの金沢工業大学・永瀬教授も、 同様のご意見を述べておられる。

このようなものの存在は、 確かに線路保守の邪魔なのである。 線路の保守がうまくできないとすると、 線路の狂いが進み、 場合によっては脱線の原因にもなりえる。 ロングレール化の進んでいて線路状態がよい民鉄でも、 踏切道では電車がバウンドするような動きをすることがよくある。 脱線防止ガードだけなら踏切ほど保守に苦労することはなかろうが、 ほとんど全自動でレール・ 枕木・ バラストの更換までやってしまう保線機械のようなものは、 使いがたくなることは間違いない。 このことまで考慮するなら、 ガードレールすなわち安全と短絡的に結論づけるのは間違いだ。 ガードレールがあるためものが 「はさまりやすくなる」 ということだってある。

それに、 旅客用ボギー電車の競合脱線で死者が出たケースは過去に絶無であった点も、 考慮にいれる必要はあるだろう。

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ボルスタレス台車

以上のことからするならば、 営団が脱線防止ガードの設置などの対策を 「怠った」 とはいえなさそうに思われる。

しかし、 ここで注意してもらいたいことがある。 上記で 「脱線防止ガードがこの種の事故を防ぐために有効な手段であることは、 おおむね論をまたない。 もし、 前もって脱線の可能性が予測できるなら、 脱線防止ガードの積極的な使用は強く推奨されるべきである」 とした個所である。 このこと、 つまり脱線の可能性を予測できたかどうかについては、 さらに検証する必要がある。

今回の事故で問題になったのは、 いわゆる 「ボルスタレス台車」 である。 1986年の東急横浜駅、 1992年ころの営団半蔵門線車庫内、 および約1年前のJR九州での事故は、 いずれもボルスタレス台車が関与した脱線事故である。 以下、 以前の記事を引張り出して簡単な解説を試みよう。

ボルスタレス台車というのは最近では珍しくもなくなった、 というか新造される電車の台車はほとんどがこれになったということだと思う。 日本では、 営団地下鉄の半蔵門線用8000系に使われた住友金属製の 台車(形式はSS-101)が旅客用電車では初めての採用である。 そういう意味では、 今回残念ながら老舗で事故が起きてしまったことになる。

8000系以降しばらくはフォロワーがなかったのだが (営団自身1983年から始めた01系による銀座線の車両更新では使用していない)、 国鉄で高速化関連の技術開発が1980年代前半に集中的に行われ、 その成果のひとつとして開発されたボルスタレス台車 (形式は電動車用がDT50、 付随車用がTR235) が昭和60年(1985)登場の山手線205系に採用された。 これが、 明るく居住性のよいステンレス車体とあいまって従来の103系山手線のイメージを一新した。 このあたりが明らかな契機となって、 民鉄も含め採用が一気に広がった。

台車 / bogie
▲台車。
The bogie.
そのボルスタレス台車とは何なのかを説明する前に、 まずは 「そもそも台車とは何か」 を簡単に説明する必要があるだろう。 昔よくあった4輪貨車のように車軸を車体に直接とりつけるのでなく、 間に台車枠を右図のように介在させることによって、 乗り心地が格段によくなる。

曲線上の台車 / bogie on curve
▲曲線線路上の台車。
Bogies on the curved track.
それだけでなく、 台車を使うことにより、 車軸数に対しより長い、 収容力のある車体を使えるようになって経済的になる。 台車があれば、 例えばこのように長い車体が曲線に入っても、 台車が左図のように回転することによって対応できることになっている。

そこで、 台車の機能はおおむね以下のようにまとめればよいと思われる。

  1. 上下・左右方向の振動をバネによって絶縁し、 車輪から直接車体に伝わらないようにする。
  2. 前後方向の牽引力やブレーキ力はしっかり車体に伝える。
  3. 線路の曲線に追随するため、 水平面内の回転がある程度自由にできるようにする。
なお、 機能3についてはあまり極端にやりすぎると直線での走行安定性が悪くなる。 このように、 台車の設計においては、 高速走行時と曲線通過時の特性改善が両立しない例がいくつか存在する。

揺れ枕吊り台車 / swing-hanger bogie
▲揺れ枕吊り式台車。
Bogie with swing hanger.
ダイレクトマウント台車 / direct-mounted bogie
▲ダイレクトマウント台車。
Direct-mounted bogie.
ボルスタレス台車 / bolsterless bogie
▲ボルスタレス台車。
Bolsterless bogie.
ボルスタレス台車の登場以前は、 台車には心皿というものがあって、 機能2と3を同時に果たしていた。 文字通り、 鉄のかたまりでできたお皿を2枚組合わせ、 それが滑って回転するというもの。 鉄のかたまりだから前後方向の力もしっかり伝達できるというわけだ。

大昔の台車は揺れ枕吊りという機構をもっており、 左右方向のバネはもたないかわりに振子の動きをバネがわりに用いていた。 しかし、 新幹線開業前に開発されたダイヤフラム型空気バネは、 上下方向だけでなく左右方向のバネとしても使える1台2役であることがわかったため、 揺れ枕吊りは昭和40年代までに一般的ではなくなった。 このダイヤフラム型空気バネの原理は簡単にいうと、 自転車のチューブを取り出して空気をいれ、 それを2枚の板の間に入れて接着剤で止めるとできるような、 そんなものである。 その結果、 台車の構造もずいぶん簡単になった。

それでも、 この揺れ枕(ボルスタ)が大物部品であり、 これをなくせばさらに軽くなる。 それに心皿も磨耗する部分なのでできればなくしたい。 そんなわけで登場したのがボルスタレス台車である。 図のように、 台車枠と車体の間には空気バネだけしかない。 台車の運動は、 曲線での軌道への追随などすべてこの空気バネを変形させることになる。 当然空気バネが多少は曲線通過の邪魔をする。

なお、 右に載せた3図は、 いずれも枕木方向に車体を切った断面をえがいた概略図である。

ところで、 6月11日にこれらの図と解説文を書いたとき、 私は 「当然空気バネが多少は曲線通過の邪魔をするが、 いままでの台車でも走行安定性との兼ね合いで、 心皿回りに摩擦要素を入れるなどしで邪魔をさせていたから、 必ずしも問題にはならない。」 と書いた。

一方、 事故調の報告から明らかになった事故原因は:

  1. 輪重のアンバランスが存在した。
  2. 空気バネ・軸バネが硬い設計だった。
などをはじめいくつかの要因が競合して起きたものとされている。 要因のひとつひとつは、 いずれもそれ単独では脱線に至らないレベルであるし、 保守管理の手抜かり等の事実も発見できなかった。 しかし、 数多くの要因のなかでも、 これらの2点の寄与が非常に大きかった。

これらのうちの要因 2. のなかで 「空気バネが硬かった」 というのは、 ボルスタレス台車の設計に問題があったということを示唆している。

すでに述べた通り、 台車が回転する場合空気バネを変形させる必要が出るから、 急曲線では脱線の危険が増す (横圧が増大する) ことが懸念される。 実際、 この種の台車が普及し出す前の論文 (参考文献1.) にもこのことは記されているのだが、 営団8000系での実績では 「3ヶ年強を経た今日(年間走行距離10万km)、 全く問題は生じていない」 とも述べている。 6月11日に 「必ずしも問題にはならない」 と書いたのは、 この文献の文言によるのである。 しかし、 詳しい原因等は不明だが、 この記事の執筆から何年か後に、 この8000系も車庫内で脱線トラブルを起こしている。

高木は当初、 今回の日比谷線事故にはもう少し複雑な要因が絡んでいるのではないかと考えていた。 参考文献1.の論文を読んでいたから、 当然関係者はこのくらいのことはわかっていて、 十分注意して電車を製作しているものとも思ってきた。 しかし、 現時点ではこの観点からの 「安全性」 の作り込みが基本的に不十分ではなかったか、 との疑いを否定できない。 これは、 かなり基礎的なレベルでの欠陥といえる。

営団は、 半蔵門線8000系の後に新造した銀座線01系 (1983年登場) ではボルスタレス台車を使わなかった。 銀座線は半蔵門線に比べて急曲線が多い。 本線上の最急曲線はR91m、 R400m未満の曲線延長の総延長に占める比率も24.5%と高い。 いちど採用した新技術を次の新車で採用しなかった理由は、 このことしか考えられないと高木は思ったものである。 ところがその後、 在来の路線の車両も冷房化を機に入れ替えることになり、 丸ノ内線02系、日比谷線03系、東西線05系が相次いで1988年に登場した。 これらの車両のうち、 02系は01系と共通の部品を使用するというコンセプトからボルスタレスでない台車で登場したが、 03・05系はボルスタレス台車をはいて登場した。

営団の路線は相互直通を行う路線 (日比谷線・東西線・千代田線・有楽町線・半蔵門線・南北線) と行わない路線 (銀座線・丸ノ内線) にわかれるが、 この曲線半径の比率という観点でみると日比谷線は過渡期の路線であることがわかる。 日比谷線の本線上最急曲線はR126.8m、 これは丸ノ内線のそれより小さな値である。 R400m未満の曲線延長の比率も25%を超えている。 東西線以降の路線はすべて20%を下回っている。 従って、 この路線にボルスタレス台車をはいた車両を導入するについては、 参考文献1. に記述された内容からしてもそれなりの注意を払う必要があった。 結果論であるが、 営団の車両設計陣にその注意が十分でなかったといわれるのはやむを得なさそうだ。

02・03・05系を同一年度に相次いで登場させたとき、 鉄道ファンの間からは粗製乱造との批判が出た。 これは主としてスタイルの問題であったような気もするが、 乗り心地など技術に関係する部分でも作り込みの甘さが目立つ車両だった。 これより前の01系の投入に際しては、 1編成を試作投入し、 1年近くにわたり走行試験を繰り返す丁寧さだった。 1988年といえばJRの発足直後のこと。 急速な冷房化の進捗などでサービス改善を急いだ、 発足直後のJR東日本への対抗意識もあったのだろう。 しかし、 車両という長く使われる資産の設計にあるべからざる拙速さが、 このような悲劇を生む背景になってしまったことは否定できない。

基礎的なレベルの欠陥とさきに述べたが、 実際に多くの台車の専門家がかかわっていながら、 このことが長年気づかれずにきたことからして、 こうした欠陥を事前に見いだすのは困難であった、 とする向きが多い。 わたし自身、 当初は予測できなかったわけである。 しかし、 これについて、 我々はより詳細な検討をする必要があるのではないか。

例えば、 東急の事故と今回の事故は似ているとはいわれるが、 東急の事故の詳細がどのようなものであったか、 対策としてどのようなことがなされたか、 などの基礎的な事柄が、 各種報道・文献等によってもあまり明らかになっていない。

輪重アンバランスが事故原因だとして、 東急はその後輪重管理を強化した。 その管理基準が、 「東急でやっていることを他社ができない理屈はない」 とのことで、 今回の事故調が打ち出した対策でも採用されてしまった。 世界にもあまり例がない管理基準を全鉄道に強制する必要性については、 正直なところ疑問を投げかけざるをえない。 従来不要であったそのような管理がなぜ必要になったのか、 今後の研究で明らかにする必要があろう。 しかし、 それが必要であるというのが現時点での結論であるなら、 なぜ過去のある時点でそのような結論に到達しなかったか、 どのような検討をどの時点で行っていたらよかったのか、 を考え直す必要があるのではないか。

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基礎技術力の低下

"Basic technologies" that are forgotten

(English abstract not yet available)
こうしたことを考える場合、 事故などに関する情報の共有をどう進めるかが課題のひとつなのだろうが、 仮に情報が共有されたとしても、 そこから必要な結論を導き出す力がないなら話にならない。 そのためには、 「基礎技術力」 が必要である。

ところが、 この 「基礎技術力」 が、 ここ数年崩壊の危機に瀕しているようなのである。

この背景にある主な現象として、 機器のブラックボックス化などが急速に進展したこと、 およびコスト低減圧力から人員削減が進んだことの2点を挙げることができる。

機器のブラックボックス化とは、 多機能な装置があったとして、 その中身をいじることができないようなもののことである。 古い装置はブラックボックスではなく、 中身をいじることがより容易であったが、 そのことは裏を返せば 「中身をいじる必要がある」 ということでもあり、 故障が多く信頼性が低いということにもつながりかねない。 ブラックボックス化できたということは、 この意味では故障が少なく省力化が可能な機器という言い方もできるわけである。 しかし、 故障が絶無になることはあり得ず、 いったん何かあっても中をいじって修理することは、 ユーザたる鉄道事業者には不可能となる。 基礎技術力を維持向上させるという観点からは、 やはり 「中をいじってなんぼ」 の世界であろう。

人員削減が進むことによる基礎技術力の低下のほうは説明するまでもなかろう。 鉄道車両でいうなら、 基礎技術力の向上は車両の1両1両と 「じっくり」 向き合うことによって達成される部分が大きいと考えられる。 人員削減によって、 そのようなヒマも失われるのは自然なことである。

こういう状況を見る限り、 「大丈夫か鉄道」 とひとこといいたくなってしまう。 実際、 最近の鉄道界でおかしなことがすでに続々起きているのは、 否定しがたいところだろう。

例えば、 民鉄を含め各社で運賃の書き間違い等が見つかったが、 一方では 「フェアスルーシステム」 などといってチェックを強化する方策をとっているわけだから、 社会的非難を浴びるのは当然である。 この背景にも、 急速な人員削減が絡んでいるといわれる。

関東で10月14日に開始された 「パスネット」 をめぐっては、 京浜急行が 「らしからぬ」 判断ミスをおかしている。 同社がもともと発売していた 「ルトランカード」 は、 関東地区の他社と互換性がないシステムで、 結局同社は数10億円単位の手戻り投資を余儀なくされた。 同社のシステムの方が乗客利便性指向のシステムだ、 というのは、 このケースについてはいいわけめいて聞こえる。 やはり互換性問題を軽視したことのツケというべきであろう。

この他にも、 極端な多扉・少座席化、 技術開発のあきらかな停滞傾向など、 懸念すべき動きが強まっているように見える。

まあ、 この程度の「おかしなこと」なら、 別に鉄道界に限らず日本のいろいろな場所・場面で起こっているよ、 という話もないことはないのだが…

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加害者・被害者間の調整機関を

Establish coordinating organizations between the assailants and the victims

(English abstract not yet available)
しかし、 誰も人の命をとろうとして列車を運行したりしているわけではない。 確かに係員が楽をしたいためにシステムをゆがめるということはある (乗客のいない鉄道がいちばん運営が楽、 という冗談まであるくらいだ!)。 しかし、 それですら、 乗客を殺すためにやるわけではない。

こういう種類の事故を未然に防ぐのはきわめて困難であることを、 我々はもう少し理解すべきだろう。 そもそも、 日本の鉄道の事故発生率は、 世界的に見てもトップレベルの低水準である。 それでも、 このように 「上手の手から水が漏れる」 ように事故が起こることは、 残念ながらあり得る。 自分自身が技術者だから多分にいいわけなのであるが…

その意味では正直にいって、 一部ご遺族と営団とのやり取りに関する情報に接し、 やりきれないものを感じた。

毎日都市鉄道を利用する人間にとって、 こういう事故は他人事ではあり得ない。 ご遺族の悲しみは理解できなくもないが、 営団側も殺人したくて列車を運行しているわけではない。 その意味では、 少なくとも報道は被害者の発言のみにフォーカスしすぎであった、 とはいえるだろう。

もっとも、 それは報道のみの話であって (それでもないより多少は助けにはなろうが)、 実際はこれら被害者は自ら戦うことを余儀なくされていることに、 注意を払う必要がある。 加害者である営団はいうに及ばず、 運輸省の 「事故調」 だって、 他の誰だって、 ほんとうに被害者のために動いてくれるわけではない。

しかし、 それは加害者たる営団の仕事だ、 というのでは、 問題はいつまでたっても解決しないだろう。

これは、 最近頻発している医療過誤問題における、 加害者側と被害者側の関係を考えてみればよくわかる。 例えば、 何らかの事故で致命傷を負った子供が病院に手当てをうけに来たとする。 そして、 その事故がその子の両親の監督不行き届きで起きたと見られるとしよう。 そこで、 第一の仮定として、 ここで医者の見立てのミスによってきちんとした検査がなされず、 その致命傷が治療されないままその子が家に帰るなどして、 結果死んでしまったとしよう。 ミスの内容にもよるが、 それは医療過誤として社会的な非難を浴びることになろう。

では、 第二の仮定として、 ここで医者がきちんとした手当てをしたとして、 それでもその子が死んでしまったとしたらどうだろう。 もちろん、 両親の 「監督不行き届き」 の内容や程度によるだろうが、 ごく当たり前のレベルであったなら、 遺族となった両親は 「しかたなかった」 と自らを納得させる以外にない。 もしかしたらご自分を責め続けることになるかもしれないが、 周囲の人は当然そのように彼らを慰めることになるだろう。

実際には、 医療過誤となる前者のケースであっても、 後者と同様、 最終的には遺族が 「しかたなかった」 というレベルに気持ちを落ち着かせることのできる仕組みを作らなければならない。 さもなくば、 遺族には最後までたたかい続けるしか道がないだろうが、 それは悲惨な結果しか生まないと思う。 しかし、 医療過誤の現場で頻発するのは、 「しかたなかった」 というのを医者自身が遺族側にしゃべってしまうことである。 職業として死を取り扱う人にありがちな間違い、 というにしてはあまりに粗雑なことだと思う。 だいたい、 日本の医療は患者本位のサービスをまるで提供できていない、 という批判ももっともである。

しかし、 こういう事態が起きたとき、 遺族の心は深く傷ついている。 まともな医者なら、 自分が加害者になったことで医者自身も傷ついているだろう (案外こちらのことは忘れられているようだが)。 そこで適切な 「第三者」 が出てきて仲介をしてくれなかったなら、 まともな会話は成立するはずがないと思われる。

西鉄バスジャック事件のさいも、 「西鉄の対応に不信感を抱いた」 というご遺族側の発言がテレビで報道されたことがある。 西鉄もどちらかといえば被害者的立場であったため、 この件はこれ以上報じられることはなかったようだが、 あのような事件においてすらこうした報道が出てくることは、 営団のような 「加害者」 側と、 「被害者」 側とのコミュニケーションの難しさを示唆するに十分であろう。

その 「第三者」 として適切なのがどういう組織かはわからない。 しかし、 どういう組織にせよ大事なことは、 こういう難しいコミュニケーションをうまくとりもった実績と経験を、 数多く積み上げることである。 日比谷線事故後、 鉄道でも事故調査機関の常設化の方針が打出されたが、 このような積み上げができる組織づくりを希望したいものである。


参考文献

  1. 里田: 「ボルスタレス台車の特長と課題」, 電気車の科学, 37, 7 (1984)

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