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2001. 5. 18. / 18 May 2001

堂本知事の千葉県
Chiba Prefecture under Governor Ms Domoto

目次 / Contents

変化のただ中にある日本の政治

Japanese politics in the times of change

Japanese political systems are surely in the times of change. The biggest happenings should be the Liberal Democratic Party's (LDP) presidential election in which Mr Koizumi was elected and became the new Prime Minister after that "gaffe-prone" Mr Mori (the adjective according to BBC News). For the first time in its history, LDP introduced "primary election" in which a general party member can vote directly to the candidates (formerly it was virtually only the Diet members that can vote). In nearly 90 per cent of all the prefectures Mr Koizumi won the primary election, and this led to his success. If it were not for this primary election, he had not been elected, because the largest "faction" in the LDP supported Mr Hashimoto.

However, I do not expect much of Mr Koizumi. He says that he will "renovate" things, and that Japanese people should endure the hard times while that "renovation" is going on. But the problem is that he has never embodied his "renovation" even up to now. Unfortunately, "renovation" sounds favourable in current Japanese situation, and this will lead to "renovation for the sake of renovation" --- which is simply a disaster for Japan after ten years of stagnation.

Nevertheless, the approval rates are something around 80 per cent acccording to many poll reports. It seems that the whole people is too fanatic. The reason for this fanaticism is that there lies a thick pile of "ressentiment" (resentment) towards the situations of political parties.

However, Mr Fukuda Kazuya contrasts this resentment with "paternally authorised ethics" which can be seen in Mr Ishihara, the Governor of Tokyo. However, Mr Ishihara is under control of another kind of resentment --- the defeat of Japan in 1945. In addition, the "paternal authority" is what is most undesirable.

明らかに、 日本の政治は転換点にあるようだ。 ここのところ最大のイベントは、 なんといっても自民党総裁選挙だったろう。 急遽ルールが修正され、 党員による 「予備選挙」 が行われた今回の自民党総裁選では、 小泉氏が90%近い都道府県でこの予備選に勝利したことが、 彼の最終的な成功につながった。 この予備選挙がなかったら、 最大派閥が推す橋本氏がまた首相になっていたことだろう。

しかし、 小泉新首相には多くを期待していない。 なにしろ、 総裁選当時から 「改革」 を訴えてはいたものの、 その改革の中身はまったく空虚だった。 あれからもう1ヶ月が経とうとしているにもかかわらず、 その空虚さは相変わらずなのである。 その空虚さの結果、 彼が言い出したことは 「靖国参拝」 だの 「首相公選制」 だの 「集団的自衛権」 だのと、 彼以前に多くの人がいっていたことの単なる受け売りばかりである。

靖国参拝ほどくだらない問題はない。 わたしのように戦後数十年を経て生まれた人間にとって、 昭和の戦争で死んだ戦没者なんて正直 「どうだっていい」 問題である。 それは単に歴史上のことにすぎないからだ。 この問題が本当の意味で未来志向であり得るためには、 「これから」 国のために殉ずる人々をどう考えるか、 という視点が存在しなければならない。 いや、 べつに 「これから」 でなくとも、 戦後今までだって、 犯罪者に理不尽に殺された警官、 事故で命を落とした自衛官など、 枚挙にいとまはないのだ。 そうした意味での未来志向がないまま、 彼が靖国神社に参拝することの意味は何か。 そう仕向ける力が自民党内に厳然としてあるからに他ならない。 日本国憲法を戦前風に改めたいだけなのだ。

首相公選制も同じことだ。 耳ざわりがよく聞こえるが、 小沢一郎氏が小泉政権誕生直後に 「首相公選制でないと強いリーダシップが発揮できないというのはおかしい」 と発言していたのが、 もっとも正鵠を得ている。 小泉政権が世論のバックアップをもとにリーダシップを発揮できるとすれば、 彼がこの総裁選で証明して見せたこととは 「首相公選制などなくても、 政党がきちんと機能していれば強いリーダシップは発揮しうる」 ということに他ならないのだ。 その自己矛盾を平然とそのままにして、 彼が首相公選制を主張する理由は何か。 これまた、 日本国憲法を改めるための突破口にしたいからに他ならない。

しかも、 それらの議論を彼がしっかり把握してきているという兆候は何一つない。 「集団的自衛権」 などに至っては、 衆院予算委員会で社民党の辻元清美氏に思いっきりとっちめられて完敗だった (この質疑のようすはテレビ中継されていたが、 ものすごい高視聴率だったそうである。 実際、 笑えるほどにみごとな完敗ぶりではあった)。

もっとも、 こうした議論が国会で交わされること自体従来になかったことだから、 この意味では彼が出てきた意味はあったというべきだとは思う。 しかし、 今のまま具体策もなく「改革」気分だけが先行したなら、 「改革のための改革」 に走られる可能性が高いと思う。 それは十年の不況に苦しんだあとの日本にとって最悪の結果を招きうる。 彼がまず取り組むべきは自民党そのものの改革であるだろうと思うのだが、 そこを飛び越していきなり国民に 「痛みを耐えよ」 といわれても、 困るというものだ。

それなのに、 内閣支持率が80%近いというが、 これは少々国民サイドがおめでたすぎるのではないだろうか。

小泉のこの人気には、 どうみても根拠がない。 それだけ、 いままでの自民党に対する不満が鬱積していて、 それがいっきに現れただけ、 と考えるのが適当だろう。

参考文献1で、 福田和也氏はこれを 「W田中的ルサンチマンと石原的倫理の対立」 という言葉で表現している。 この場合のW(ダブル)田中とは、 外務大臣になった田中真紀子氏と、 長野県知事の田中康夫知事のことである。 対して石原というのはもちろん東京都 「皇帝」、 石原慎太郎都知事のことだ。

ルサンチマンというのはわかりにくい言葉だが、 広辞苑によれば語源はフランス語 ressentiment で、 語義は 「怨恨・憎悪・嫉妬などの感情が反復され内攻して心に積っている状態」 とある。 社会科学の方面でよく出てくる言葉である。 W田中的ルサンチマンとは、 既存の政党政治に対する怨恨のことをいっている。

しかし、 石原もかなりのルサンチマンを抱えた人物であるというべきだろう。 なにせ 「日本国憲法は今すぐ停止すべきだ」 と暴論を平然と国会で吐くくらいだ。 1945年の敗戦が、 よっぽど精神にこたえているのだろう。 これをルサンチマンと呼ばずしてなんといおうか。 そのルサンチマンを背景に、 自衛隊を東京にパレードさせている姿は、 恐怖を抱かせると同時に、 あまりに時代錯誤で滑稽でもある。

それに、 この文献中で福田氏は、 石原氏が 「未来と過去に向けての父権的責任感」 を抱いている、 というくだりがあるが、 この 「父権的責任感」 というのほどやめてほしいものはないわけである。

「(日本)文壇最強の子育てパパ」 の異名をとる鈴木光司氏が、 さいきん 「シーズ ザ デイ」 という小説を上梓したが、 それを紹介した記事 (参考文献2) において、 鈴木氏が 「父権は不要、父性は必要」 と持論を展開するくだりがある。 鈴木氏の 「父権」 と 「父性」 の区別の仕方に100%賛成できるわけでもないが、 「父権」 をアプリオリに是認してしまう福田氏のような論客に対しては、 「父の権利が元々あるなどと思ってはいけない」 という鈴木氏のこの記事における言葉を進呈しておけばよさそうだ。

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成田問題

The Narita Problem

Instead of Mr Koizumi, I see a little light of hope in the new Governor of Chiba Prefecture, Ms Domoto Akiko.

To tell the truth, when I thought of the person to whom I vote for in the election of the governor in March 2001, I did not pay much attention to Ms Domoto. She has special knowledge and experience in the field of environmental policies, and her major pledge was to re-consider the reclamation of "Samban-se" Shoal, the last natural shoal left in the bottom of Tokyo Bay.

However, the "hot" problem in Chiba Prefecture at the time of election was the "Narita Problem". Because of Ms Ohgi Chikage's insensitive reference to the problem, Mr Numata Takeshi, former Governor of Chiba Prefecture, became angry. I wanted the new governor to have a right understanding of the problem, and act accordingly, so as not to make all the sacrifice that the prefecture has ever paid on the realisation of Narita Airport in vain.

そんなわけで小泉氏に期待していない高木は、 千葉県知事の堂本暁子氏に少しだけ期待を抱いている。

ただ、 この3月に選挙があったとき、 わたしは堂本氏に投票しなかった。 氏に風が吹くとか、 そういう雰囲気ではまったくなかった。 それに、 氏の主な公約もこの時点ではあまりはっきりしていなかった。

氏はもともと環境問題に造詣の深いひとだったらしく、 主な公約の中には 「三番瀬」 問題で埋め立て計画を白紙に戻して検討することが述べられていた。 「三番瀬」 は、 東京湾最奥部に残された最後の自然の浅瀬で、 貴重な渡り鳥などの宝庫であるだけでなく、 アサリなどの豊かな漁場であり、 いわば東京湾を死の湾から守る最後の砦ともいえる場所である。 しかし、 私はそれとは異なる問題で、 次期の知事に不安を覚えていた。 それは成田問題である。

千葉県はちょうど、 れいの扇千景発言で怒っている最中だった。 前年(2000年)12月、 当時の運輸・建設大臣だった扇千景氏が、 羽田空港の国際化にきわめて無神経な形で言及した。 いわく 「未完成なのは千葉県の責任」 「羽田のほうが便利だ」。

前者の発言に関しては、 国の空港の未完成を千葉県の責任にされても困る、 という話である。 一方の後者は、 千葉県以外におられる多くの方々は、 むしろ扇発言を支持されることだろう。

もちろん、 羽田のほうが便利なのは確かだ。 だが、 それは都心から近いというだけでなく、 アクセス交通路が整備されているからでもある。 一方の成田も、 開港当初こそ世界一遠いとか揶揄されたものの、 現在では世界的に見て (近くはないにしても) 取り立てていうほどの遠さではない。 それにもかかわらず不便なのは、 アクセス交通が不出来だからである。

道路についていえば、 新空港自動車道なるものがあるが、 これは東関東自動車道 (東関道) への取り付け道路という位置づけになろう。 その東関道は、 都心を経由しないで他の高速道路と連絡するルートが未整備である。 では都心を経由すればよいかといえば、 それも京葉道路など別なルートから合流する車が多く、 容量不足は深刻に見える。 そこで、 都心を避け、 東京湾により近い場所を抜けるルート (第二湾岸道) の整備が待望されている。

一方の鉄道はもっと悲惨である。 現在の成田空港駅は、 実は1990年代に当時運輸大臣だった石原慎太郎氏が、 ツルの一声で実現させたものである。 もともと、 成田新幹線の駅として建設されたものの、 使われずに「放置」されてきたものだった。 ここにJRと京成電車が乗り入れてきて、 事態はだいぶ改善されはした。 しかし、 当初の計画は新幹線だったわけで、 それなら都心から成田空港までは東京駅からおそらく30分程度、 もしくはもっと短時間で結ばれたことだろう。

現状の 「成田エクスプレス」 は、 最高速度も130km/h程度とひくいうえ、 東京から千葉を経由して成田に向かうため遠回りで、 所要時間も長くなってしまう。 京成電車の 「スカイライナー」 はこれよりは近回りだが、 曲線ばかりで最高速度の低い線路条件が災いし、 日暮里というやや不便なターミナルからの時間で 「成田エクスプレス」 と同程度となっている。 どちらも所要時間は約1時間だ。

一方、 たとえば常磐新線 「つくばエクスプレス」 は、 都心の秋葉原とつくばの間を40分程度で結ぶことを計画している。 この間の距離は都心・成田間と同程度だ。 このことをみても、 東京・成田間の交通について、 改善の余地は大きいことがわかる。

そうしたアクセス改善投資をさぼっておいて、 「不便だ」 と放言するのは、 国土交通省をあずかる大臣としてはあまりに不勉強であるし、 これまであの空港を受け入れるために多大な犠牲をはらってきた千葉県に対して、 失礼きわまりない。 その意味で、 沼田前知事がこの扇発言に態度を硬化させたのは、 当然のことであったと思える。

実際には、 「国内」 「国際」 を別の空港でサービスする現在の考え方には、 疑問も多い。 札幌などから海外旅行に出かける、 と考えたとき、 羽田に着いて成田まで移動するのは非常に手間がかかることも事実だろう。 首都圏第三空港建設などという問題もあった。 そんなことから、 「国内線=羽田」 「国際線=成田」 という枠組みが長期的にも最適なものと考えることは難しい。 しかし、 これまで払ってきた犠牲を扇発言のように軽く無視されるのは、 県民感情としても耐え難いものがある。 新知事にも、 是非この問題をきちんと理解した上で仕事をしてもらえる人がいいと思った。

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インターネットで選挙戦を戦った堂本さんにエールを送る

A yell to Ms Domoto who has campaigned on the internet

After being elected as Governor, Ms Domoto has already done significant jobs. On the Narita Problem, she stated that she cannot make Chiba Prefecture "draw the short straw", and requested for investments on access transportations. The Ministry of Land, Infrastructure and Transport quickly supported Ms Domoto by stating that they try to find ways to realise new access railways. On the "Samban-se" issues, she acted according to her pledge, but there is an expectation that she can bring about a satisfactory conclusion.

These facts show the good ability of Ms Domoto as a Governor. However, during the election campaign the mass media did not pay attention to her. This is because major campaign was done using the network of supporters linked by the internet.

Although I did not vote for her this March, I simply want to send a yell to her. Recently many extreme rightists seem to have gained strength in Japanese political systems; I expect that Ms Domoto's success can change the situation and move Japan forward into a better age.

当選後の堂本知事の活動は、 今までのところすばらしいと思える。 成田問題では、 「千葉だけが貧乏くじを引くことは認められない」 と表明した。 アクセス改善投資を要望し、 国土交通省もそれに応えてアクセス鉄道の実現に動き出したのは、 大変けっこうなことだったと思う。 その一方、 長期的には成田は国際、 羽田は国内という現在の役割を変えることも容認する発言を追加し、 扇大臣や国民一般への配慮も忘れないあたり、 政治家としての老練さも感じる。

公約だった三番瀬埋め立ては、 現在白紙に戻して検討中とのことだ。 しかし、 この埋め立ては沼田県政時代にすでにその計画の大幅縮小が打ち出されている。 埋め立てをゼロとするうまいアイディアがあるのか、 どのような解決策が採られるのか。 三番瀬埋め立ての計画エリアには、 下水処理施設やゴミ処理設備、 そして先ほどの成田にも関係する第二湾岸道路など、 重要な都市基盤設備もたくさん計画されていた。 それをどのようにまとめ上げるのか興味があるが、 このような知事であれば、 バランスのとれたうまい計画が出てくるのではないかとの期待感をもっている。

このような有能な人であれば、 もう少し選挙の最中から盛り上がってもよさそうなものだったが、 投票率は比較的低い36.88%。 長野とは全く異なる状況で、 大新聞・マスコミもあまり大きくは取り上げなかった。 この状況を堂本知事自身 「風が吹かなかった」 と振り返っている(参考文献3)。

他の候補はすべて既成政党の推薦を受けて組織選挙を行っていた。 こうしたなかで堂本知事が勝利できた大きな要因は、 インターネットを利用した市民の連帯であったようだ。

そのようなものがいわば 「うねり」 (風ではないことに注意) となって堂本氏を当選に導いた。 だが、 インターネットとかけ離れた世界にいた大新聞やテレビでは、 このような状況は全く見えなかったようだ。 私もそうした報道しかみていなかったから、 堂本氏に疑問を感じざるを得なかったのである。

福田氏の論考 (参考文献1) は、 インターネットを駆使した選挙が行われたことを理由に、 千葉県のケースを長野県の田中知事のケースと同列に扱っている。 しかし、 長野の場合は大新聞・週刊誌等が大騒ぎしたのだが、 千葉ではそのようなことは全くなく、 知事当選までマスコミの扱いは実にあっさりしたものだった。 従って、 実際には長野と千葉とではかなり様相が異なるはずであり、 それが逆に、 千葉県でのいわゆる 「無党派知事」 の勝利が、 他の事例より事態の「根」の深さをより直接的に示している、 ということになるのではないか。

というわけで、 ここは堂本知事に着実な仕事をすすめていただきたいと考えている。 政治的な決断というのはいつも大変なものだ。 でも、 石原都知事のような、 どちらかといえば極右的思想に近い人たちに追いまくられてばかりだった日本も、 堂本知事が成功することで別な対抗軸を持ち得て、 よい方向に変わりそうな気がしてきた。 選挙では投票しなかった自分の不明を恥じつつ、 ぜひ、 堂本知事にはがんばってほしいと心から思う。

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参考文献 / References

  • 福田和也: 「新総理への失望、石原新党の誘惑」, 文藝春秋、79, 6, pp. 94-101 (2001)
  • 「『シーズ ザ デイ』の鈴木光司 父性を語る 次世代に経験 語り伝えて」, 朝日新聞, 2001年5月15日(火)夕刊, 41363, 4面 (2001)
  • 堂本暁子・田中良太: 「『堂本ショック』が全国を揺るがす」, 中央公論, 116, 6, pp.70-75 (2001)

高木 亮 / TAKAGI, Ryo webmaster@takagi-ryo.ac
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