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1999. 9. 15記
長崎大水害 (天声人語)
今年の夏、 福岡県地方など九州北部ではよく雨が降り、 日照時間が少なかったと聞いている。 「産業応用」 の会場は長崎市内から高速船 (走りっぷりを見る限りどこが高速なのかよくわからないが) で20分ほどの伊王島にあるリゾートホテルだったが、 ここでも会期中思い出したように強い雨が降っていた。 特に大会2日目には、 午前中からバケツをひっくり返したような激しい雨に雷のおまけ付き。 大会2日目は学会を抜け出してどこかに行きやすいスケジュールだっただけに、 この日島内を見て回ろうと考えていた参加者も多かったろうと思うが、 あの雨では諦めざるを得なかったことだろう。 おかげで午後の特別講演会と懇親会が大入りだったが。
高木の記憶が確かであれば、 この大水害があった日(1982年7月23日)の晩に、 高木のいる関東地区では茨城県沖を震源とする強い地震があり、 津波注意報が出ましたとかいう報道をしていたところだった。 何となく眠れないのでラジオを聞いていると 幸い地震の方は被害らしい被害もなく済んで終わりになり、 長崎水害のニュースがこれにとってかわった。 長崎のNHKに届いた尋ね人の情報を放送することにしたらしく、 アナウンサーが 「○○さんお聞きでしたらご連絡下さい」 というようなことを延々と放送していたのが記憶に残っている。 時間雨量127ミリ、 3時間雨量でも315ミリというすさまじい量の雨が降り、 地形が複雑な「坂の町」で、 水が狭い領域に集まっていっきに流れ下った結果の災害だったのだろう。 長崎の気象台では災害が起きる前に強い雨が近づいていることを観測し、 「未曾有の大災害が起きる可能性がある」 という文言の警報を出すことを検討した、 という話を聞いたこともある。 結果的にはこの文言は使われなかったそうだが、 仮に使われていたら300人もの人的被害のいくらかでも救われただろうか。 それから4年後、 1986年の夏に長崎市街を訪れた。 水害で中島川の石橋群は、 有名な眼鏡橋をはじめほとんどが被災してしまったが、 九州最古の眼鏡橋は再建されており、 中島川の右岸に神田川お茶の水分水路に似た地下式の分水路を工事中であった。 工事の概要を知らせる看板に 「私達は生涯、この悲劇を忘れてはなりません。」 とあったのが印象的だった。 今回は、 それ以来の長崎訪問であるから13年ぶりということになる。 中島川の右岸の分水路工事は終わり、 分水路の上はきれいな公園として人々の憩いの場になっている。 今度は反対側、 左岸の分水路工事をすることになるのだと思うが、 まだ用地買収が進んでいないようだった。 関連リンク
高木 亮 / TAKAGI, Ryo webmaster@takagi-ryo.ac (c) R. Takagi 1998-2001. All rights reserved. |